公立大学法人 兵庫県立大学大学院大学院 地域資源マネジメント研究科

園長日記

(054)野田市の放鳥式典が行われた

7月23日に、千葉県野田市は、今年生まれの幼鳥3羽を飼育施設から放鳥して、自然界に適応できるかどうか観察を続けることにした。親鳥の風切り羽根は切られているため飛翔できないので、天井をあけて幼鳥だけ自由に外に出すやり方だ。コウノトリの放鳥は関東では初めての試みであり、当園からは宇都宮副園長がその式典に参加し、私は次のようなメッセージを送った。


野田市放鳥式典 園長メッセージ

本日、ここ野田市コウノトリの里において、コウノトリの放鳥式典が開催されますことを、兵庫県立コウノトリの郷公園を代表して心よりお祝い申し上げます。兵庫県立コウノトリの郷公園が、2005年9月24日に初めて試験放鳥を行ってから今年でちょうど10周年。また、兵庫県が1965年にコウノトリの保護増殖事業を開始してから50周年にもあたります。このような日本のコウノトリにとって節目の年に、関東初となる放鳥がここ野田市で執り行われますことを大変喜ばしく思うとともに、根本市長をはじめ関係の皆様に対しまして衷心より敬意を表する次第です。

さて、兵庫県では平成23年に今後のコウノトリ野生復帰の目標を記した「コウノトリ野生復帰グランドデザイン」を策定し、その中で短期・中期・最終のゴールを定めて取り組んでいますが、その中期目標に兵庫県外での繁殖個体群の確立があります。2005年にコウノトリの郷公園が試験放鳥を開始して以降、放鳥と野外での自然繁殖を重ね、野外のコウノトリの数は着実に増加し、現在では80数羽を数えるまでとなりました。数は順調に増えてはいるものの、これまでの野外での繁殖はコウノトリの郷公園がある兵庫県の豊岡盆地周辺のみとなっています。

このように、なかなか繁殖地が広がらない中、野田市での放鳥はコウノトリ野生復帰グランドデザインの中期目標に掲げた、新たな繁殖地の創設につながるものと、非常に期待を寄せています。また、平成25年12月には国内の飼育下及び野外のコウノトリの個体群管理に関する全国組織「コウノトリの個体群管理に関する機関・施設間パネル」略称IPPM-OWSを設立し、主に国内におけるコウノトリの遺伝的多様性への取組や、コウノトリ野生復帰の取組への様々な支援を行っております。兵庫県立コウノトリの郷公園だけでなく、このIPPM-OWSとしても、今後、本日放鳥されるコウノトリがこの野田の地に定着し、何年か後にはこの地で他のコウノトリとペアとなり繁殖し始めるよう、引き続き野田市の取組に対して支援を行ってまいりたいと思っております。

最後になりましたが、今日の放鳥にあたり、野田市を始め地域の皆様、そして多くの皆様がこれまで取り組んで来られたことに対して、改めまして敬意を表するとともに、今後、コウノトリと共生する地域づくりが、地元の皆様方の参画と協働により、より一層すすみますことを祈念いたしまして、私からのお祝いのメッセージとさせていただきます。

本日は誠におめでとうございます。

平成27年7月23日

兵庫県立コウノトリの郷公園園長 山岸 哲


関東で初めての放鳥とは言っても、昔は江戸の町でもコウノトリは繁殖していた。寛政7年(1795)に刊行された『絵本江都の見図』に、歌川豊国が描いた五百羅漢寺本堂の屋根には大きな鳥が巣をかけている。狂歌師の万亀亭江戸住が「施餓鬼するのりの利益は薬よりこう(効=功=鸛)の見へたる羅漢寺の屋根」(施餓鬼をする仏の教えの利益は、薬よりも効能が見え、功績をあげてきた羅漢寺の屋根にコウノトリが巣を作っているのだから)という狂歌を添えている(写真1)。このことから、屋根の鳥は間違いなくコウノトリで、江戸時代には東京で繁殖していたことが解るのだ。この寺は当初は本所五ツ目にあったが、明治時代に目黒の現在地に移転している。

(写真1)歌川豊国画、絵本江都の見図、五百羅漢寺(国文学研究資料館)

写真1 歌川豊国画、絵本江都の見図、五百羅漢寺(国文学研究資料館)

また、次の「桜の葉越しに鸛の巣が見られる」という芭蕉の句は、貞享5年(1688)刊其角編『続虚栗』に「草庵」の前書で「花の雲」と「鸛の巣」の二句が並んで収録されていることから、貞享4年以前の作で「花の雲鐘は上野か浅草か」とともに当時芭蕉が住んでいた深川の芭蕉庵(草庵)で詠まれた句だと考えてよさそうだから、これもコウノトリ繁殖の証拠のひとつだろう。

 

鸛の巣もみらるる花の葉越哉  芭蕉(『続虚栗』)

 

では、この鳥が見られなくなったのはいつごろなのだろうか?私が以前勤めていた山階鳥類研究所にはコウノトリの標本がいくつかあったが、そのうちの2体のラベルには、「カフノトリ、1884年、手賀沼で採集」とあるから、野田市のごく近くでは、少なくとも明治17年までは生息していたことになる(写真2)。

(写真2)山階鳥研に保存されている手賀沼産コウノトリの標本(提供:山階鳥類研究所)

写真2 山階鳥研に保存されている手賀沼産コウノトリの標本(提供:山階鳥類研究所)

最後に、江戸時代のコウノトリは繁殖期にだけ渡ってきた夏鳥ではなかったらしい。貞享元年の芭蕉『野ざらし紀行』の途上で巻いた歌仙を収録する『冬の日』(貞享2年刊)に、名古屋の俳人荷兮(かけい)が詠んだこんな句がみられる。

 

霜月や鸛の彳々(ツクツク)ならびゐて  荷兮(『冬の日』)

 

ツクツクというのはツツツクシ(つくし=土筆)のようにすっと数羽立ち並んでいる様子。この句の前書に「田家眺望」とあるから、11月にコウノトリが沢山降り立った田園風景を詠んだものと思われる。

いずれ、こうした風景が野田市などの努力で関東に復活すればうれしいことだ。

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