コウノトリを勉強しよう
どうして絶滅した?
明治10年ごろは日本全域でコウノトリを確認できました。
明治22年頃には、明治10年ころと比べ半分の地域でしか確認されなくなりました。
この頃コウノトリは、田んぼを歩き回り稲の苗の根を傷つける、農家にとって悪い鳥だと考えられていました。
明治時代は一般の住民も銃を持つことが許されていたので、
悪い影響を与えると考えられていた田んぼにいるコウノトリは、撃たれて処分されていました。
太平洋戦争の時に、巣をつくるアカマツが多く切られたこと、またコメの生産量を上げるために農薬が使われ、
その農薬に含まれる水銀の影響によって、コウノトリが弱って死んでいってしまいました。
昭和30年からコウノトリ保護活動が始まったのですが、
昭和32年頃には、豊岡市と武生市(現在の越前市)でしか野生のコウノトリを確認できなくなりました。
この2つの地域には、コウノトリのエサが多くいる田んぼが多くありました。
昭和40年に日本で第1号の飼育ケージができ、コウノトリを人工飼育で増やす取組が始まりました。
昭和41年頃には、豊岡市でしかコウノトリを確認できなくなっていました。
コウノトリのエサがたくさんいる沼のような田んぼは、稲作の機械化のために、
乾いた田んぼに改良されていきました。乾いた田んぼにはコウノトリのエサがいなくなります。
農薬に含まれる水銀のせいで弱っていたコウノトリは、エサの減少によってさらに減っていきました。
昭和46年に、とうとう最後の日本の野生コウノトリが死んでしまいました。
これを日本のコウノトリの野生絶滅と言っています。