コウノトリを勉強しよう
保護活動の始まりって?
兵庫県と豊岡市が取り組んだコウノトリにかかわる事業は、
絶滅寸前のコウノトリを守り増やしていこうという取組と、
増えた飼育コウノトリを野外に放って野生復帰させようという取組に分けられます。
絶滅寸前のコウノトリを保護し増やしていく取組は次のような取組です。
①昭和30(1955)年に、東京にある山階鳥類研究所の山階所長が、絶滅寸前のコウノトリを憂いて、
コウノトリが住む豊岡市のある兵庫県の阪本知事に、コウノトリを保護して増やしてくれないかと頼みました。
②コウノトリを保護し増やすことが必要だと考えた阪本知事は豊岡に行き、
豊岡市長、北但農林所長、出石町長、小坂・室埴村長、農協組合長らと意見交換し、豊岡市民に対して、
コウノトリの貴重さを説いて、虐待しないこと、狩猟しないことを頼みました。
③そうして、兵庫県と豊岡市と協力団体が協力して、「こうの鳥保護協賛会」を設立しました。
(昭和33(1958)年に「但馬コウノトリ保存会」と名前が変わります)
この協賛会は、コウノトリ関連の資料の収集、コウノトリの習性の研究、コウノトリ保護育成の対策、
愛鳥精神の振興、国・県への連絡を業務とし、組織的なコウノトリ保護増殖事業を展開しました。
④昭和34年(1959)に、但馬コウノトリ保存会が人工巣塔を建設し、
「コウノトリをそっとする運動」を始めました。
⑤豊岡市の教育界も「但馬コウノトリ研究会」を結成して、
コウノトリを但馬全域の理科教育に活かす研究をし、コウノトリ保護増殖活動の環境整備をしました。
⑥相次いで野生のコウノトリが死んでいくので、昭和37(1962)年に、人工飼育することを決めました。
⑦佐用郡三日月中学校がドジョウ約40kgを寄贈したり、
但馬地区の小・中学校の児童生徒が「どじょう一人一匹運動」に取り組んだりしました。
⑧昭和40(1965)年に人工飼育ケージ「第1フライングケージ(約束のケージ)」が完成し、
つがいを捕獲し人工飼育でコウノトリを増やそうという取組が始まりました。